「考察」カテゴリーアーカイブ

自由な妄想です。

ルールを守ることが目的化していないか?


こんばんわ

さーもんです。

 

なんか最近、二重国籍がどうとか、

話題になってますね。

なんでも、法的にいろんな問題があるとか、

批判的な意見が目立ちます。

(アゴラ:蓮舫問題の超簡単な論点)

 

個人的には、

二重国籍を使って何か悪いことをしようと

しているわけじゃないんだから、

それが違法の状態であるならば、

近いうちに正せばいいじゃないか。

と思うんですけども。

そんなに目くじら立てるほどの問題じゃない。

 

実際、この問題には、

別のところに大きな問題があるみたいですけどもね。

(ダイヤモンドオンライン:蓮舫氏の二重国籍問題は謝罪しても終わらない)

この話はとりあえず置いておきます。

 

この件に関して、初めの段階では、

法的な問題を指摘する批判をやたら見てて、

その時に思ったのが、

法律とかルールを守ることがそんなに大事か?

ってことです。

 

ありきたりな「目的と手段」の話ですが、

まぁ、聞いてください。

 

ルールは手段。では目的は?

結論から言うと、

「ルールを守ること」そのものっていうのは、

そんなに重要ではないと思います。

 

別に「ルールは守らなくていい」とか、

「ルールは破るためにある」とか、

そういうことを言っているわけではなくてw

「ルールを守ること」は単なる手段であって、

それそのものが目的ではないということです。

 

じゃあ、何のためにルールがあるかというと、

「みんなが快適に過ごすため。」

「物事をスムーズに進めるため。」

とかですよね。

 

法律であれば、

国民が住みよい暮らしをするため。

スポーツ等のルールであれば、

怪我につながる危険行為をさせないため。

などなど。

それらの目的を果たすための手段として、

ルールが存在しているわけです。

 

ルールを重視しすぎるのは本末転倒

そんなわけなんで、

手段としてルールを守ることは、

大事なことではあると思うんですが、

あまりそれに縛られ過ぎるのも問題です。

 

例えば、蓮舫問題に話を戻すと、

違法状態の事柄を放置していたことは、

自業自得であるとは思うんですけど、

ただ、彼女自身日本の政治家として、

日本を良くしようと努力してきた人です。

方向性や成果については、言及しませんが。

 

そういった人の足を引っ張るために

法律論を持ち出して叩きまくるというのは、

どうも本末転倒な気がしてならない。

 

そういう人の中には、

ルールを目的化してる人もいれば、

ただの「叩きたがり」もいると思いますが、

いずれにしてもそういうの見てると、

とても残念です。

 

問題は悪意があるかどうか

別に政治家だから云々っていうつもりはなくて、

一般の人でもそうでしょう。

違法だと知らなかったとか、

知ってはいるけど迷惑にならないからいいやとか、

っていうことはあるんじゃないでしょうか?

 

そういったことに対して、

批判的な意見を持つことは、

僕はありません。

 

じゃあ、どのようなことに対して、

批判的な考えを抱くかというと、

やっぱり「悪意があること」でしょうね。

 

他人に迷惑をかけたいがためにやること。

私利私欲のために、他人の迷惑を顧みずやること。

そういったことは、やっぱりヤダなぁ・・・

ちなみに、上述の「叩きたがり」とかもその一種です。

 

まとめ

なんか最後は、

ひどく個人的な話になったんですが、

つまり、何が言いたいかというと、

法律とかルールとかに縛られずに、

自分なりの善悪の判断基準を持ちませんか?

ということです。道徳ですね。

 

目指すべき目的のために、

ここはどうすればいいのか。

これはしてもいいのか悪いのか。

そういう風に考える人が増えるといいなぁ。

と思います。

 

もちろん、意見が割れることはあると思います。

ただそれは、各人の道徳の違いですし、

そもそも、「みんなが住みよい暮らしをすること。」

が目的ではない人は、

当然、僕とは違った意見になると思います。

それはそれでいいのかな?と思います。

 

といったところで、

終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ


「しつけに罰」はつまらん


こんばんわ

髭を剃るたび血が出るさーもんです。

 

北海道の児童置き去り事件が世の中を騒がせました。

なんでこの事件がここまで注目集めるの?

っていうことが僕にはわからなかったんですが、

とりあえず無事保護されて良かったですね。(ヒトゴト)

 

なんか・・・

「躾のために置き去り」とか言うと、

限度を知らないバカ親のやること。

みたいな印象を受けますけども、

「数分後に戻ったところ・・・」っていう話を聞くと、

最終的には連れて帰るつもりだったっぽいので、

結果の深刻さっていうものは確かにありますけども、

お父さんも意図的に虐待するような、

凶悪な人間ではないみたいですね。

(田野岡大和くん置き去り不明 父親・貴之さん嘘証言に殺人事件疑う声も)

 

ちなみに、僕の地元の近くでの出来事なんですけど、

そんなことはどうでもいいですねw

 

 

さてさて、この出来事を受けまして、

「躾のために置き去りにするってどないやねん」

みたいな話になってるみたいなんですけど、

僕は、置き去りがどうこう言う前に、

この「躾として罰を与える。」

っていうこと自体に否定的です。

 

罰を避けるための行動に魅力はない

以前、「ゲーム理論」の本を読んだときに、

当ブログでも書いたんですけども、

罰というものの存在意義は、

わかりやすいデメリットがあることで、

やりたくならない環境を作ること

です。

というか、僕はそう思います。

(「罪を犯したら罰を受けるべきはウソ」~ゲーム理論~)

 

確かに、今回のように、

「人や車に石を投げつける。」

という行為をしたら、

「林道に置き去りにされる。」

ということにつながるのであれば、

「やりたくなくなってやめる。」

という効果はあると思います。

 

でも、それって、

本質を著しく欠いてますよね。

なんか、

ワンコロに対するオペランドなんちゃらみたいな・・・

 

本来であれば、

「なぜ石を投げつけるのがダメなのか。」

ということを理解してもらって、

「石を投げつけるのはやめよう。」

と思ってもらうのが理想的だと思います。

 

ただ、

「7歳にそんなことわかんねーだろ。」

って言われてしまうと、

ぐぅの音も出ませんw

 

なんですが、

前にどこかで、塾講師やってたって、

書いたと思うんですけども、

その中で、生徒に対して、

この、叱るとか、罰を与える。っていうことは、

やりたくなかったし、ほとんどしたことがないです。

 

それが良かったかどうかはわからないですけど、

理由はけっこう単純で、

「怒られるからやらない」とか、

「怒られないためにやる」とか、

そういったモチベーションで動く人って、

つまんないですよね。

だから、そういう人間を育てたくなかった。

 

できれば、

「自分のためになるからやる。」とか

「ただなんとなく楽しいからやる。」とか、

そういう方向にもっていきたかったですね。

 

「罰を避けるため」は確かに有効

一方で、この「罰を避けるため」に動く、

っていう方向性に持っていくことの、

有効性っていうのは、認めます。

 

僕の高校時代の数学の先生は、

それはもう厳しくて、

殴る・蹴る、というのは当然で、

挙句の果てに、口癖が「○ね」でしたw

 

それに対しての是非は、

ぶっちゃけどうでもいいんですけどw

今になって思えば、

ゆとり世代の恩師にそういう存在ってのは、

貴重かもしれませんね。

 

それはそうとして、

先生がそんな感じなので、

宿題やってきてないとか、

授業中話を聞いてないとか、

っていうことがあると、当然、

・@ういふぇpりおぐふdsじょ;pぇあ

な感じになるわけですよ。

すると、生徒側は、それが嫌だから頑張る。

っていう心理になります。

 

それが功を奏してか、

その先生が授業を受け持つクラスは、

他のクラスと比べて、

明らかに平均点よかったんですよねw

 

つまり、経験談から言うと、

ゲーム理論的な「罰を避けるモチベーション」

っていうのは、

ある程度の目的を達成するためには、

テストの点数上げるとかいう目的のためには、

間違いなく有効と言えます。

(敢えて「学力」じゃなくて「テストの点数」っていう言い方をしておきます)

 

負を避けるより正を求める行動を

上述のように、「罰避けモチベ」というのは、

確かに一定の効果はあります。

 

ただ、やっぱり、

AとBという選択肢があったとして、

「AがイヤだからBをとる」

っていう選択よりも、

「BがいいからこそBをとる」

っていう選択の方が、

やってる本人の幸福感から言っても、

ずっといいと思いますし、

傍から見ててもカッコいいと思います。

 

そんなわけなんで、

「負の事柄を避けるための選択」

よりも、

「正の事柄を求めるための選択」

ができる人が多くなって欲しいし、

自分でもそうなりたいと思います。

 

実際のところ、

自分自身がそういった選択をできてるかというと、

正直自信ないですorz

そもそも、

「罰避けモチベ」人間はつまらんから叱らない。

っていうのも、

負を避ける行動ですしねw

 

現実問題として、

このような「負を避けるための選択」

というものが、

どうしても必要になる場面はあるとは思いますけども。

10時過ぎてからシャワー入ってると、

隣のねーちゃんに「うるさい」って怒られるしなw

 

それでも、できるだけ、

「正を求めるための行動・選択」

というものを増やして行きたいですね。

といったところで、終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


生まれ持った才能?


こんばんわ

連休はプチ引きこもりのさーもんです。

 

さて、

先日の日記で、Now Reading とした本、

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす


なんですが、

読み終えました。

で、感想を書きたいと思います。

 

この本のテーマがですね、

「人が生まれながらに持ち、生涯不変の才能 」

そして、その生かし方。

ということで、

これで、ちょっと引っかかったところ。

本題からは少し外れるんですが、

述べさせていただきたいと思います。

 

生まれ持った才能は存在するか?

僕はこれまで、

「生まれ持った才能」というものの存在に否定的でした。

だってなんか・・・

言い訳っぽくないですか?

 

「あの人は才能があるから」とか、

「自分には才能がないから」とか、

うまくできるかどうかは生まれた時から決まってて、

自分はうまくできない方だから、

努力したって仕方がない。的な。

 

なんかこう、

「やろうぜ、ウェイウェイ」的なときに、

「自分にはどうせムリだから」的なことを言われると、

なんか気持ちが沈みますよね。

 

そういうことに対する嫌悪感とかがあるので、

「生まれ持った才能」という言葉を聞くたびに、

なんか腑に落ちないというか、

虫唾が走る思いでいました。

 

ただ、この本を読んでると、

シナプスがどうとか、

ニューロンがどうとか、

脳科学的なことも踏まえて説明されているので、

これについては納得せざるを得ません。

 

才能が無いからできないでいい?

そうすると、

「自分には才能がないからできるわけない」

というのも正論のようになってしまいますが、

そうではありません。

 

ここで述べられているのは、

才能というか、資質ですね。

「野球」とか「サッカー」とか、

特定の物事に対する才能ではなくて、

「社交性」とか「慎重さ」とか、

そういった抽象的なことに対するその人特有の資質。

ということです。

 

そして、この「資質」というものと、

「知識・技術」は明確に区別されています。

ある人に弱点があったとして、

その弱点が「資質」の欠如によるものであれば、

その道で成果を上げようとするのは時間の無駄でしかない。

としていますが、

知識や技術の欠如によるものならば、

必要な技術と知識を身につければいいだけのことだ。

と述べています。

 

つまり、資質によってどうにもならないこともあるにせよ、

単なる知識や技術の問題であれば、

当人の努力次第でなんとでもなる。

と捉えてもいいんじゃないでしょうか。

 

まとめ

そんなわけなんで、

これまで僕が持ってた、

「生まれ持った才能」

という言葉に対する変な感じというのは、

「才能」という言葉の定義の間違い。

にあることがわかりました。

 

それでも、テレビやらなんやらでは、

この「才能」という言葉が安易な形で使われ続けると思うので、

それに対する違和感というものは拭えないと思います。

 

いずれにしても、

努力を拒否する姿勢に対する見方は、

変わらないですかね。

 

ちなみに結果は?

最後に、この本のメインテーマでもある、

「ストレングスファインダー」

やってみたので、その結果を書きたいと思います。

 

約170~180の質問に答えて、

導き出された僕の資質は、以下の5つです。

  1. 内省
  2. 慎重さ
  3. 親密性
  4. 最上志向
  5. 収集心

 

1.内省

とにかく考えるのが好き。

ゆえに1人でいるのが好き。

説明する役割などにも向いている。

 

うん、考えるのチョー好きです。

間違いないですね。

説明については、うまいと言われたことはありますね。

考え込んだことや良く知っていることなら

自信を持って話せるんですけど、

即興や穴のあることではタジタジになります。

 

2.慎重さ

まじめ。用心深い。

危険を否定せず、表面に引き出す。

勢いで行動しがちな人のストッパー的な役目。

後方支援で力を発揮。

 

そうですね、どちらかというと裏方派です。

危険や不安なことは真面目すぎるくらい考えます。

歩道でも、立ち止まったり、歩くラインを変えるときは、

後ろからチャリが来てないかとか気をつけます。

 

3.親密性

本物の人間関係にのみ価値を感じる。

まわりと強い絆を結ぼうとする。

同僚や顧客が頻繁に変わるのは苦手。

周りからどう見られているか気になる。

 

おっしゃる通りです。

薄っぺらく幅広くよりも、

ディープでヘビーな関係を・・・

 

4.最上志向

強みに磨きをかけるのが好き。

弱点を克服するのは嫌い。

仕事で最高の成果を収めようとする。

失敗を立て直すのは苦手。

 

確かに、うまくいってるときはイケイケなんですけど、

つまずいたら折れやすいところはあります。

 

5.収集心

知りたがり屋。

物、情報、知識を蓄積するのが好き。

調査関係の仕事に向いている。

 

まぁ、本を読みまくってるところからして、

間違いないでしょうw

 

 

そんな感じで、

僕はこんな感じの人間です。

この結果が絶対というわけでもないでしょうけど、

一つ、参考にしていきたいなと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


自粛ムードについて


こんばんわ

さーもんです。

 

熊本、大分を中心とした大地震から、

はや1週間以上が過ぎました。

被災された方々につきましては、

今もなお、苦しい生活を強いられていることと思います。

 

一方、各メディアでは、

こういった大規模災害の際に浮上する、

自粛ムードの是非についてあーだこーだ、

物議を醸しています。

 

今回の件に限らず、

東日本大震災のときにも広がった自粛ムード

それについて思うことを、

書いていきたいと思います。

 

僕は、この「自粛ムード」というものに対しては否定的です。

 

「被災した人たちのことを考えると、

贅沢や楽しいことなんてとてもできない。」

と思う人たちの気持ちは、

決して間違っているとは思いません。

自粛自体は否定しません。

 

ただ、何が問題かというと、

それを他人に強要する流れができ上がってしまっていることです。

 

自粛というのは、

自らの意思で行動を控えることです。

↑↑のように思うのであれば、

自分が行動を控えればいいだけのこと。

一方、他人に言われて抑えつけられるのは、

自粛とは言いません。

単に支配を受けているだけです。

 

まぁ、言葉の話はどうでもいいんですけど、

この、「自分の思想のもとに他人を支配しよう」とする精神は、

この上なく気に食わない。

 

「~なんてとてもできない。」と思う人もいれば、

もちろん、

「被災者の方々は気の毒には思うけども、

自分は自分の生活を続けよう。」

と思う人も当然います。

そういった人にも「自粛」を強要するのはいかがなものか。

 

こんなこと言ってると、

「『~なんてとてもできない。』と思うのが、人として当然だろ!」

っていう声が聞こえてきそうですけども、

人として当然のことなんてありません。

一人ひとり違って当然。

みんな同じこと言ってるなんて、

気持ち悪いじゃないですか。

同じプログラムで動かされてるロボットじゃないんだから。

 

最近は、AIの発達により、

同じプログラムのロボットでも、

違った挙動をするっぽいですけどもねw

 

それはさておき、

ちょっと一般論の方に走ってしまったんですが、

事象を自粛ムードの件に戻して・・・

 

何でしょう?この、

「どこかで不幸が起きたら、それを全国に波及させよう。」

っていう根性は、どうにかならないもんですかね?

恐らく、極端な横並び主義、平等主義の

負の産物だと思うのですが・・・

 

これに対して、僕の持論としては、

たとえ、誰かが不幸になろうとも、

たとえ、僕が不幸になろうとも、

別の場所にいる人がで幸せや楽しい時間を維持できるのであれば、

それに越したことはないだろう。

ということです。

 

この自粛ムードというものは、

別の場所で幸せな時間を送ろうとしている人の、

その幸せを奪おうという流れです。

それを肯定するわけにはいかない。

 

幸せのおすそ分けならいいけど、

不幸のおすそ分けなんて要るかボケ。

 

 

何度も言いますが、

「被災地のことを考えて、幸せを満喫なんてできない。」

という理由で、個人的に言動を控えることは、

何の問題もありません。

それが自分の意思で決めたことだから。

 

ただ、その意思がない人に対して、

それを強要するようなことは、

勘違い正義も甚だしいわ。

ということを声高に主張したところで、

終わりにしたいと思います。

ではでは(-_-)ノシ

 


情報処理技術者試験会場で見た日本の未来と自分の立ち位置


こんばんわ

さーもんです。

 

熊本での地震において、

被災された方々におかれましては、

大変な思いをされていることとは思いますが、

ひどく個人的な話題を書かせていただきます。

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

さてさて、

タイトルにもある通り、

今日、情報処理技術者試験、

基本情報技術者を受験してきました。

 

朝、暴風雨の中をですね、

ビチョビチョになりながら行ったわけなんですけども・・・

 

で、なんというか、

会場の雰囲気じゃないんですけど、

なんか、自分としてはめずらしく、

呑まれましたねw

僕あんまり、この手の試験で、

緊張とかする方ではないんですけど、

今日はなんか・・・

「呑まれた」っていうと言いすぎかもしれないですけど、

なんかアレでした。

 

ただ、実際に試験が始まると、

落ち着いてというか、

いつも通りな感じで、

取り組むことができましたよん。

我ながら、設問と対峙した時の集中力には、

感服いたします。

 

 

なんで、呑まれかけたかというと、

やっぱり周りを見過ぎたことですよねw

まぁ、興味本位なんですけど、

みんなどの参考書を使ってるのか

(≒どこの参考書が売れているのか)

とか気になってですね、

周りを見回していたらですね、

ほとんど、スマホとか、タブレットとか、

紙の参考書を見てる人はですね、

半数にも満たなかったんじゃないでしょうか?

ということに対する、

遅れてる感に苛まれたのもちょっとあり、

 

まぁ、それはいいといして、

もっと印象深かったのはですね、

制服を着た高校生とか、

中には、「コイツ中学生なんじゃないか?」

って思うような子もいたりですね、

っていうのがチラホラ見られました。

 

いや、JKの制服に興奮したとかじゃなくてですねw

大半は大学生とか、大人ではあるんですけど、

少なくとも、高校生くらいでも受けに来ている子たちがいる。

僕は、この歳でそういった子たちと、

同じ土俵に立っているってことですよね。

 

この歳って・・・

16進数で1Cですよ。

 

以前、知り合いから、

「プログラミングとかですごい人とかは小中学生からやってるから、

今から始めてもたかが知れてるでしょ。」

的なことを言われたことがありますけども、

それを改めて思い出しました。

 

そして、また別の話になるんですけど、

昼休みにスマホでニュースを見てたところ、

プログラミングが小中学校で必修にする、

っていう動きがあるみたいですね。

(小中でプログラミング必修に・・・政府の新成長戦略)

まさに、すげータイムリーで目に付いたんですけど、

2020年度からそうなるみたいです。

 

そのあたりから考えると、

今我々がこうして資格試験のために

必死こいて(?)覚えているような知識は、

10~20年後には一般常識になり下がる。

ということが容易に想像できます。

「そんなん誰でも知ってるよー。学校で習ったじゃん。」

っていう時代が来ます。

 

もちろん、プログラミングと、

情報技術者の幅広な知識は、

すぐさま直結するものではないと思いますが、

ITに関する若い衆の素養は、

底上げされることは間違いないでしょう。

 

IT化が世界でもかなり遅れていると言われている日本で、

IT技術に強い人材が次々輩出されることは、

喜ばしいことではあるんですけども、

そんな時代が来る中で、

情報系技術者としてかなり出遅れた僕は、

これからどうしていけばいいのだろうか?

とか、

試験前に思ってしまったわけですw

 

まぁ、元々、

ITエンジニア、スペシャリストとして、

天下取れるとか思ってなかったですけども・・・

 

 

いずれにしても、

僕が今から何をしようと、

既にバリバリでやってる人たちにはかないません。

それよりも、

なんか・・・

暗殺教室の殺せんせーが言ってたんですけど、

ニュアンスでは覚えてるんですけど、言葉が・・・

とにかく「2本の刃を持て」みたいなことだったと思います。

 

刃を2本持っていれば、

1本が通用しなくなってももう一本で対抗できる。

あるいは、2本そろっていること自体が、

自分自身の強みになるのではないでしょうか。

 

ってなわけで、

なんだかんだ試験はうまくいったし、

あまり悲観的にならずにですね、

複数本の刃を磨いでいきたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ


人はなぜ裏切られるのか


こんばんわ

昨日の夜くらいからちょっと体調が悪くて、

今日、朝起きてからずっと寝てました。

お大事に。

さーもんです。

 

さてさて、

最近やたら、芸能人の不祥事とか、

話題に上がりますよね。

不倫?

学歴詐称?

不倫?

 

まぁ、それはいいんですけど。

それらについて、あっちこっちで、

批判の声が上がります。

 

僕に言わせれば、

そんな反省するかどうかなんてその人次第なんだから、

ほっとけばいいじゃん。

って感じなんですけども、

そういう批判的な声を上げずにはいられない、

っていう人もいるようですね。

 

そういう人の心理として、

多くの人々から注目を浴びている人間に対する嫉妬から、

落ち度があったら「ザマー見ろ」とばかりに叩く。

っていう人もいると思いますし、

あるいは、

信じてたのに裏切られた。

って感じてる人もいるのかもしれません。

 

前者の方はまぁ、

しょーもないとは思いますが、

今回は、後者の方にフォーカスして、

考えていきたいと思います。

 

 

このような不祥事が起こった時、

裏切られたと感じるのはなぜなのか?

それは恐らく、

その人物に対する信頼感が、

強すぎるせいでしょう。

 

清廉潔白で、

やましいことなんかなーんもない。

そんな人物を望んでいるんですかね。

そして、それとは違う出来事が起こったときに、

「そんなことする人だと思ってなかった。」

「裏切られた。」

と感じるのではないでしょうか。

 

冷静に考えればわかるんですけど、

そんな人いませんよねw

芸能人も所詮は人間ですし・・・

一つの幻想と言えるでしょう。

 

それを否定してしまったら、

アイドルとか芸能っていう産業自体が、

成り立たなくなってしまう。っていうのは、

ありそうですけども・・・

 

 

それはそれとして、

この「他人に対する幻想」っていうのは、

なにも芸能人に対するものだけでは

ないと思います。

 

そんなことをする人だとは思ってなかったのに・・・

そんなことをした。

期待してたのに・・・

それほどの働きをしてくれなかった。

そういった時に、

「裏切られた」と感じるんですかね。

 

ぶっちゃけそれって、

その人が裏切ったんじゃなくて、

自分の見込み違いだと思うんですよ。

つまり、幻想を抱いていたことになります。

 

じゃあ、なぜ幻想を抱くのか。

こうであってくれなきゃ困る。

常に自分の味方であってくれなきゃ困る。

期待した働きをしてくれなきゃ困る。

そんな気持ちを、

強く持っているからだと思います。

 

要は、「裏切られた」と思うのは、

他力本願だからだと思うんですよ。

 

 

他人が何かをしてくれること。

自分の味方でいてくれること。

期待通りの働きをしてくれること。

それって、

とても有難いことだと思うんですよね。

 

してくれたらラッキー。

してくれなくてもそれはそれで当然なのかな。

と思うのが正しいような気がます。

 

ただ、逆にそれが、

「してくれるのが当然。」

「こうあってくれるのが当然。」

というふうに思ってしまうと、

そうじゃなかった時、

「なんでしてくれないの!?」

「なんでそんなことするの!?」

という怒りに変わってしまうんじゃないでしょうか。

 

他人がしてくれないなら、

自分の力で何とかする。

それが基本だとは思いますが、

やっぱり、人は一人では生きていけないので、

できないことは他人にやってもらうということは、

悪いことではありません。

 

ただそれは、当然のことではなくて、

とてもありがたいことである。

っていうことを忘れずにいたいな。

といったところで、終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


自分は結局何がしたいのか


こんばんわ

そろそろ自炊に飽きてきたさーもんです。

 

自分は何がしたいかわからない。とか、

やりたいことがない。とか、

良く聞きますよね~。

実際、そういう人もたくさんいると思うし、

いかんせん、僕もちょっと前までそうでしたw

 

なんで、そういうことになるかというと、

職業とか、仕事内容とか、

を、ベースに考えてるからだと思うんですよね。

 

だから、自分なりの目標とか、

個人的にやりたいことがあったとしても、

それが仕事と関係ないとか、

収入に直結しないとか考えちゃうと、

やりたいことは何かと問われたときに、

「それ」とは答えることができずに、

「ない」と答えてしまうんじゃないですかね。

 

でも、職業って結局、

ただの手段だと思うんですよ。

自分がどうなりたいとか、

世の中にどういう影響を与えたいとか、

そういうものを実現するための手段。

あるいは単に、

生活費を確保するための手段であったり。

ですよね。

 

 

僕も最近、

技術職として働き出しました。

まさに、テクノロジーの領域に、

足を踏み入れたわけなんですけども。

ただ、僕の場合は、

「テクノロジーの最先端を担って行きたい」とか

そういう風に思っているわけでは、

あんまりありません。

 

じゃあ、何がしたいのか、

どういう風に思っているかというと、

「みんな幸せになればいいのに」

と思ってます。

若干ヒトゴト混じりではありますけども・・・

 

 

確かに、テクノロジーの進歩は、

スバラシイです。

生活がどんどん便利になったり、

面白いものがたくさん増えたり、

してるわけです。

 

ただ、それが、

直ちに人々の幸せを生み出しているかというと、

そうではないとも思うんですよね。

便利さとかっていうのは、

幸福感を持つための地盤を作る一つの要素であって、

すぐさま直結するものではない。

 

人の幸せを作るのは、「人」です。

人間関係とかもそうですし、

あと、結局最後は自分の気の持ちようですよね。

 

ただ、現状見てて思うのは、

その「人」こそが不幸の原因、

あるいは幸福感を削ぐ要因を、

作り出してる気がしてならないんですよね。

 

先々週の記事でもチラッと書いた、

クレーマー的な行為とかもそうですし、

パワハラ、いじめとか、

あとは、

価値観を押し付けることとかもそうです。

 

 

なんで、そんなことが起こるのか。

不幸の原因を作りだすのは何か。

僕なりに考えてみると、

最後に行きあたるのは、

人々が何事も一つの縦序列で考えてしまうことだと思うんですよね。

そこから生まれる劣等感、チンケなプライド。

さらに、そこから生まれる嫉み。

そして、それらをもとにした「叩き合いの精神」です。

 

たった一つのものさしで、

人の優劣を決める。

勝っていれば奢り、

負けていれば劣等感を抱き、嫉む。

あるときは、上の人の欠点を見つけては、

引きずり降ろそうとするし、

またあるときは、下の人を見下し、

罵声を浴びせたりする。

そんな構図が蔓延してるように思います。

 

「嫉妬は、自分を高めるための原動力になるから

決して悪いものではない」的な意見を、

どこかで聞いたことがあるんですけど。

ちょっとすいません、どこで聞いたかは、

記憶がアレで思いだせないんですけども・・・

 

でも、実際問題、

自分を高めることよりも、

他人を蹴落とすことの方に走ってる人が、

多いのが現状ではないでしょうか?

なぜなら、その方がラクだからです。

 

 

やっぱり一つのものさしで考えると、

必ずそこに優劣が生まれます。

他人と比べて自分を蔑み、

あるいは、相対的に優位に立つために、

安易に他人を攻撃する。

そういうのって、

自分自身も生きづらいし、

他の人をも生きづらくしてると思うんですよね。

 

以前、このブログで、

子供のころの夢は、

「冒険の旅に出て魔王を倒すこと」

で、今もそれはあまり変わってない。

的なことを書いたんですけどw

(「なんか知らんけど子供のころの夢を語ってみる」)

当時はなんとなく、ぼかしたんですが、

その時見据えていた「魔王」っていうのは、

紛れもなく↑↑が当たります。

 

要は、そういう「叩き合いの精神」がなくなって、

もっと生きやすい世の中になって欲しい。

っていうのが、僕の願いであり、

そのためにできることをする。

っていうのが、僕のやりたいことの一つです。

 

なんとなく、バカみたいに書いてきたこのブログですが、

意外とそういう想いを込めている部分もあります。

  • 視野を広く持ちましょう
  • 自分なりの価値観を持ちましょう
  • 他人を認めるキャパを持ちましょう

っていうあたりが、

主に伝えたいことかな、って感じです。

 

まぁ、見てくれてる人も少ないですし、

影響力もほとんどないことはわかってますけども・・・

それでも微々たる力で、

発信を続けていこうと思います。

 

 

仕事の話に戻ると、

取り立てて「この仕事がしたい」、

というものがあったわけではなくて、

入った職場で↑のようなことを

推進していきたかっただけですかね。

 

それってやっぱり、

仕事に直結するものではないので、

何の仕事がしたいかとなったときに、

いまいちピンと来なかった。

 

それがなんでこうなったかというと、

ブログ書いてて、htmlのタグとか見てると、

プログラミングをガッツりやりたい、

っていう気持ちが芽生えてきて・・・

もともと何かに没頭するのは好きなのでw

それならいっそ、

そういう系の職に就いたらいいんじゃないか、

って安易に考えた。ってことですかね。

要は成り行きです。

 

で、結局実際にコード書いたりする仕事では

ないんですけども・・・

ただ、やっぱり技術職として、

いろいろ学ぶべきことは多いので、

特にプログラミングにこだわるつもりはありません。

今やるべきことに没頭しようと思います。

 

 

まとめると、僕のしたいことは、

世の中を生きやすくっていうことと、

個人的には、何かに没頭したい

っていうことの2つかなと思います。

そんだけかなぁ~・・・

 

 

学歴や偏差値。

収入や地位。

そういったものは全て、

他人が作ったものさしです。

誰かが作ったものさしに縛られて生きて、

楽しいですか?

 

個人的には、めっちゃ高収入の人よりも、

ゲームがめちゃくちゃうまいとか、

アニメのことなら何でも知ってるとか、

そういう人の方が魅力を感じます。

何かに没頭したい理由も、

その辺にあるかもしれません。

 

何も人の価値を測るものさしは、

1つや2つじゃないんですよ。

ってなところで、

終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


保育園不足について考える


こんばんわ

なんだかんだ平日はいっぱいいっぱいの

さーもんです。

 

最近、保育園不足の問題を象徴するものとして、

悲痛の声を綴った記事が上がって、

波紋を呼んでますけど・・・

(リンク:保育園落ちた日本死ね!-はてな匿名ダイアリー)

テレビのニュースとかでも、

大々的に保育園不足の問題が、

取り上げられることが多くなってるように思います。

 

そこでちょっと疑問に思ったんですが、

この問題を解決するための、

世の中とか、マスコミとかの意見が、

「保育園を増やせ」

という方向に偏り過ぎていないか?

ということです。

 

つまり、

子供が産まれたら、

保育園に入れることが必須。

という前提で、話が進んでいるような気がします。

 

確かに、

保育園不足、保育士不足の問題は深刻で、

解決すべき問題ではあると思います。

そして、そのためには、

保育園を増やす、保育士を増やす、

ということは、

間違いなく有効な手段です。

 

ただ、今回の騒動で思ったのは、

保育園を増やすことばかりに目が行って、

「保育園の必要性を減らす。」

という視点が、

すっぽり抜け落ちている気がするんですよね。

 

 

保育園を必要としているのは、

おそらくだいたいが、

夫婦共働きの世帯だと思うんですよ。

シングルマザー、シングルファザーとか、

そういう場合もあると思うので、

ものは一概には言えませんが・・・

 

ただ、共働きの場合について考えるんですが、

共働く理由として、

大雑把に分けると2つだと思うんですよね。

  1. 父親か母親、どちらかの収入だけでは家庭の生活費及び子育ての資金を賄いきれない。
  2. 両親ともに社会に出て働きたい

に大別されるんではないでしょうか。

あるいはその両方が複雑に入り混じって、

カオスな状況になってるかです。

 

例えば、1.について言えば、

父母どちらかの収入で、

家庭を養えるような環境作りをする。

っていうことも、有効な対策になると思うし、

2.について言えば、

祖父母とか、近所の人とか、

代わりに子供の面倒を見てくれる人が、

いればいいんですけど、

そうじゃなくても、

少なくともどちらかの親が、

会社でフルタイムで働くことにこだわらず、

子供の面倒を見ながらでもできる仕事を選ぶ、

っていうことも一つの考え方だと思います。

 

「子供を産まなければいい」

っていうことは、

少子化的な話からナシとして・・・

 

まぁ、結婚もしてない、子供もいない人間の発言なので、

↑で言っってることは的外れな部分もあると思いますけども、

 

いずれにしても、

現状、保育園のニーズが高まっているから、

サプライを増やせ。

っていう対処療法的な議論に

終始しているのに対して、

それが難しいのであれば、

そもそも、ニーズが増えていること自体を、

一つの問題ととらえて、

逆に、保育園のニーズを減らす

っていう観点からアプローチしてみては、

どうでしょうか?

っていう提案をしたい。

 

 

というわけで、

行き詰ったときは、一歩引いてみる。

っていうのは大事かなと思います。

 

ほんで、現状ではヒトゴトなんですけども、

いずれ当事者になった場合。

当事者になることがあるかどうか、

という問題は置いといてw

国が何とかしてくれなきゃどうにもならない。

っていう状況には、したくないよな。

ってなところで、終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


コミュ障で何が悪い。


こんばんわ

さーもんです。

 

今週?先週?

とりあえず前の月曜日から、

仕事が始まりました。

 

やっぱ、これまで、

人と接する機会があんまなかったから、

気付かなかったんですけど、

いざそういう環境に入っていくと、

次々ボロが出ますね。

コミュ力とか・・・・

 

僕あんまり、

コミュニケーション得意じゃないです。

「コミュ障」っていうと、

ちょっと言いすぎかもしれないですけど、

言葉が出てくるのに時間がかかったり、

言いたかったことが言えずじまいになったり、

することが、よくよくあるわけです。

 

その原因とか考えてみると、

聞かれたことに対する答えを元々考えてなくて、

不意打ちくらったようになるとか、

ただ単に、言葉をド忘れしてるとか、

いろいろあるんですけど、

 

今回ちょっとですね、

言いたいことが言えずじまいになるパターン。

について、グダグダ話そうと思います。

 

ありますかね?

あんまない人もいると思いますけど、

結構ある人もいると思います。

いずれにしても、

これは僕個人の話です。

 

 

先日、そういう場面があったんですけど、

その場面を分析するに、

僕って結構、

「まず人の話を最後まで聞く」

タイプの人なんですよね。

相手の発言が一区切りつくまで、

自分の口は開かないというか、

とにかく、割って入ることはしないわけです。

 

それだと、

テンポの速い仕事の場とかでは、

会話の流れが次々進んで、

それを言う場面ではなくなって、

結局言えずに終わってる。

っていう感じなんですよ。

 

そうすると、相手からしても、

「物言わぬ使えんヤツ」になったり、

自分の中でも、

それがフラストレーションになってたりで、

結果、コミュニケーションが億劫になったり、

してると思うんですよね。

 

うん。

そんな気がする。

 

別に、「人の話を聞く」こと自体は、

悪いこととも思ってないし、

日常会話とかだと、

その方がいい場合もあると思うんです。

実際、「それがお前の良いところ」って、

言ってくれる人もいますし・・・

 

仕事じゃなくても、

3~4人以上で集まる場とかは、

苦手だったりするんですけどねw

 

ただ、やっぱりですね、

必要な時に、必要な発言をできないのは、

イタイ。

他人の評価は・・・まぁいいとしても、

自分が何の影響力も持たない人間に

なりかねませんよね。

 

というわけで、まず発言。

トンチンカンなことでも、

アンポンタンなことでも、

チンパンジーなことでも、

発言していく力をつけよう。

弱点を克服しよう。

 

と、

思った矢先、

一冊の本を読みました。

自分の「武器」を見つける技術


これな。

一人暮らし始めてお金無いのに、

本にかける金額変わってないっていう・・・

まぁ、クレジットカードで、

来月の自分に投げればいいんです。

 

それはさておき、

『自分の「武器」を見つける技術』

池田潤さんっていう、

ご自身も若いころ悩んだ経験から、

コーチング等を通して、

多くの悩める若者を救っている方が、

書いた本です。

 

そうですね、僕、

「~する技術」とか、

「~する方法」とか、

っていうタイトルの本って、

ノウハウとか、ハウツー的な感じがして、

あんま興味持つことないんですけど、

内容は、「気の持ちよう」に関することなので、

結構すらすら読めましたよん。

 

 

で、

さっきの流れからなんでこの本が、

出てきたかというと、

「苦手なことを頑張る必要なない。得意なことを磨け。」

的な感じのことも書いてあるんですね。

 

安易にそれだけを真に受けてしまうと、

「オレ、コミュ苦手だからそのままでいいんだよ~ん。」

「コミュニケーションなんかとらなくていいんだよ~ん。」

みたいな発想になりそうなんですが、

実際、一瞬思いかけました。

 

ただ、やっぱり、

組織の中にいると、

ある程度のコミュニケーションとれることって、

最低限のことだと思うんですよね。

なので、それは放置できないところです。

 

そんな中で、僕がこの本から受け取った

大事なことっていうのは、

「不得意なことがある自分を嫌いにならない。」

っていうことです。

 

不得意や弱点があると、

これじゃダメだとか、

それを克服しようとか、

その悪い部分ばかりに目が行ってしまう。

で、自己嫌悪に陥る。

 

そうじゃなくて、

得意なことも、不得意なことも、

全部ひっくるめて自分であって、

ありのままの自分を認めること。

それが大事なんだってことです。

 

 

ってなわけで、

一つの欠点で人格全否定されることとかも

あると思いますけども、

それでも自分は自分の味方。

うまくコミュニケーションとれないのも自分。

だけどちょっとは頑張ろう。

といったところで、

終わりにしたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ

 


資格とる?


こんばんわ

さーもんです。

 

突然ですけど、

明日、名古屋に引っ越します。

まぁ、仕事の関係ですね。

仕事探して東京出てきて約2カ月。

なぜか名古屋に飛ぶことになりました。

 

あ、いや、飛びません。

陸路で行きます。

 

とはいえ、以前も名古屋に住んでいたことがあるんですけども、

何でしょうね?

縁があるというか、

引き寄せられてるというか、

なんかそんな感じがしてます。

 

う、嬉しくなんか・・・ないんだからな!

 

 

さてさて、

タイトルの件についてなんですけど、

資格について。

なんかよく、

「資格なんか意味ねーじゃん。」とか、

「資格不要論」的なことも耳にするんですが、

それに対しての意味も込めて、

自分の考えを書いてみたいと思います。

 

ちなみに、僕今、

資格試験の勉強してて、

「基本情報技術者」ってやつなんですけど、

情報処理技術者試験(IPAのページへ)

の一番基本的なやつですね。

を取ろうと思ってます。

 

で、そうして過去問とかやってるとですね、

やっぱりちょくちょく、

「こんなもん覚えて意味あんの?」

っていうものもあるわけです。

 

例えば、

コミュニケーション方法として、

「相互型」、「プッシュ型」、「プル型」

ってのがあるらしいんですけど、

電話とか、お互いにやり取りするのが「相互型」

メールとか、発信するのが「プッシュ型」

Webサイトとか、受け取りに行くのが「プル型」

らしいです。

 

「その分類、要る?」って、

思ってしまったんですけど・・・

覚えましたけどねw

 

それ以外もですね、

必要とされる知識は浅めで、

暗記量がモノを言う感じ。

まぁ、基本だからっていうのもありますけど、

仕事とかで役立ちそうかと問われると、

首を傾げたくなります。

 

そういう意味ではやっぱり、

「資格不要論」の方に行きたくなるんですけど・・・

 

ただですね、

日本では・・・

だけかどうかはわからないですけど、

少なくとも日本は、

「肩書きに対する信頼度」っていうのは、

すごいありますよね。

 

これまた、例えばですけど、

ニュース番組のコメンテーターとか。

「○○大学教授」とかよく出て来ますけど、

でも、たまになんか、

「こんなコメント、素人でも言えんじゃね?」

って思うときってありませんか?

 

いや、もちろん、

「さすが専門家だなぁ~」って、

思うこともありますし(なぜか上から目線)、

テレビであんまり、

誤解を与えるような発言はできないとか、

もろもろの事情があるんだとも思いますけど。

 

ただ、

「そのコメントって、そんな価値あんの?」

って、思う時がたまにあります。

むしろ、クチコミサイトの投稿とかのほうが、

よっぽど価値あるよなぁ~。って。

クチコミでもひどいやつとかありますけどね。

 

ほんで、

テレビ出演のギャラは、

おそらく数十万~数百万。(知らんけど)

で、クチコミは、ほとんどがボランティア。

もらってたとしても、1件あたり数円でしょう。

(サクラとかじゃなくて、「クチコミ書くとポイントたまる」っていう、ポイントサイトみたいなサービスもあります。)

 

その差はやっぱり、

「肩書に対する信頼度」でしょう。

どこの誰かわからない人より、

大学教授の方が圧倒的に信頼がありますよね。

 

その発言自体が正しいか、正しくないか。

良いものか、良くないものかは、

聞いた人が判断するべきだとは思いますけど、

テレビ局としては、信頼のおける人に

オファーせざるを得ないですよね。

そういう意味では、

肩書の力は絶大です。

 

普通の人が言うことより、

基本情報技術者の言うことの方が・・・

 

 

というわけで、

ちょっと例が極端になってしまいましたが、

他人からの信頼を得るために、

肩書(=資格)を持っておくことは、

有効だと思ってます。

少なくとも、書類上とか第一印象では。

ので、積極的に取っていきたいとは思ってます。

 

ただ、やっぱりですね、

「資格を取るための勉強」はしたくないな。

とも思います。

↑↑に書いたように、

ちょっとした暗記とか、テクニックとかで、

点を取れちゃうような場合もあります。

ってか、参考書とか見ると、

「ここがよく出る」とか、ありますしね。

 

ただ、そうではなくて、

試験問題を解くための勉強ではなくて、

何か一つ、理解を深めるようなつもりで、

重要そうなことはもうちょっと調べてみるとかして、

取り組むようにしていきたいとは思いますね。

 

肩書だけの人には・・・

なりたくないです。

 

そんな感じで、

4月の受験に向けて、

もう少し頑張ってみようかな。

ってなところで、終わりたいと思います。

ではでは(^o^)ノシ